人を傷つけたらダメって、どうしてそんなにダメなの。

いつも当院をご利用下さいまして、誠にありがとうございます。


三夜連続メルマガ更新の最終日は、「人を傷つけたらダメって、どうしてそんなにダメなの」です。


昔から、人を傷つけたらダメとか、人に迷惑をかけたらダメって教えられてきたけれど、


どうしてそんなに人を傷つけたり迷惑をかけたらダメなの。


人を傷つけなくなったり、迷惑をかけなくなることが大人ってことなら、それは間違いだ。


人って、傷つく事で多くを学び、


強くもなれ、何よりも自分を知れる。


なのに、なぜ人を傷つけたらダメって無理に強制するのだろう。


だったら悪気がなく相手を傷つけたり迷惑をかけるのはいいの?


さっきも言いましたが、傷つけたり、傷つけられる事で、


多くを学ぶのに、なぜダメって強く否定するんだろう。


私にとって、この答えがずっとわからないままでいました。


以前、ある人からこんな事を言われたことがあります。


「悪気があって、人を傷つけるより、悪気がなく相手を傷つける方が悪い」と。


何で?って思って理解できませんでした。それからずっと答え探しをしていたように思います。


その人の理由は、「傷つけようとした行為には、相手の気持ちを理解してるから出来ることで、


悪気のない一言には、それがない。そして際限が無い。


目隠しをして刃物を振り回しているのと同じ状態で、無差別で一番たちが悪い」と。


要は、人の気持ちを理解しなさいと言いたかったのだと、今はわかります。


でも最近、私なりの答えを見つけることが出来ました。


その答えとはやはり当初から感じていた違和感そのものでした。


人を傷つけようとしたり迷惑をかけようとしてやったことが悪くて、


悪気がなければ、悪くない。これが私なりの答えです。


同じように傷つけることになるけど、意味が全然違うってことに。


傷つけようとする行為には、人為的な策略が働いた、人を惑わす行為に感じますが、


悪気の無い傷つける行為には、それにはない。


傷つく方が悪いだけで、むしろ、なぜ傷ついたのかを、


傷ついた本人が考察するべき内容で、言った本人には関係ない。これが私の答えです。


傷つけられた事を相手にとがめるのではなく、なぜ、傷ついてしまったのだろうと


傷つけられた本人が考察するべきだと思うからです。


傷つけられた事で、自分を知れるチャンスにもなるし、自分だけではなく相手も知ることができる。


そうやって、傷つけ傷つけられ、迷惑をかけ、迷惑をかけられながら、人と人が深く繋がって行くものなのに。


そう捉えられる方が、相手を憎むことをしなくなると思う。


むしろ、自分の事を知ることが出来て「ありがとう」って思えたりする。


意外に大事な部分のように感じます。


本人が意地悪でしているのなら、軽蔑したくなる気持ちも分かるけど、


傷つけるつもりのない一言で、相手が傷つくということは、


傷つく側が、心に素直さや純粋さが足りないからではないか?


いらない心の偏りや、いらないプライド、いらない拘りがあるからではなかろうか・・・


私は悪気の無い一言にこそ、大切な何かを掴むきっかけを与えてくれるようにも思う。


そういった何気ない一言の方が、魂のこもった生きた言葉であるようにも感じる。


意識しないレベルの優しさや、目に見えない、無心に近い気持ちこそ、魂が宿る言葉になるのではと思っています。


知識や知恵が入りすぎた、損得勘定や意地悪さ、恨み、憎しみ放った言葉には、


何も響かず、脱け殻で魂が宿っていな言葉のようにも感じます。


それが例え相手のための優しさの一言であってもそう思います。


例えが少し違うかも知れませんが、人を笑わせようとして放った一言より、


何気ない一言や行動の方が、腹を抱えるほど面白かったり、


無邪気な一言の方が、その人の心を射ったりすることが、多いように思う。


今の世の中、マスコミも含め失言に対して厳しいというか、


揚げ足とりと言うか、面白おかしく侮辱し、利益や欲望のためなら、何だってするといった時代になっている今、


その事で言いたいことが言えない世の中になってしまっているようにも感じます。


自分を出せない世の中になっているようにも感じます。


何でもかんでも、傷ついたとか、訴えるとか、プライバシーの侵害とか、


責任問題、責任問題と追及し、それに怯え生きているような、今の流れに憤りすら覚えてなりません。


言いたいことを素直に言えなく、言いづらく、


自分を素直に表現できなくなっている世の中になればなるほど、


どんどんと、人の成長や考える力を奪っているようにも感じています。


特定秘密保護法案や個人情報保護法にも現れていますが、


一人一人の心意気を否定し、平均化し、常識的で、出る杭を潰し、権力者が人の扱いをしやすくするために、


世の中をコントロールしようとする法案は、決して許してはならないと思います。


しかし、一人一人がしっかり目を見開いて「私はそうは思わない」と、素直に言えるようになるためには、


自分を知るための意識は欠かさないこと。


人を恨んだり憎んだりして、苦しさから逃げようとしたり、


そして人のせい、世の中のせいと自分を誤魔化さないこと


だと私は思います。


私には「人を傷つけたらいけません」って言葉には、自分を過保護にし、自分を知るきっかけを阻害し、


人のやさしさに気づかせにくくもし、言いたいことも言えず、平均的かつ常識的な人物を育てるための、


無責任で身勝手な言葉に聞こえてなりません。


これからも、本音と建前を使い分けられる大人にだけは、なりたくないと思う私です(^_^;)


最後に一言。


今回三回に渡り、愚痴で始まり愚痴で締めくくった内容になってしまったようにも感じ、反省しております。


日々自分を見つめていると、いろんな疑問が噴出し、「どうして」「なぜ」といったように、


子供のような疑問が溢れてきています。


子供が、人を傷つけようと、迷惑をかけようとする行動には、


何か意味があるように感じてなりません。


大人がそれをあえて教えたり注意する必要があるのでしょうか。


子供は決して人を傷つけたくて、迷惑をかけたくてしてるのではなくて、


その人ともっと深く繋がっていたい、その人の事をもっと知りた


いというシグナルのようにも感じます。


子供はいつも、大人の身勝手な思い込みに振り回されているのではなかろうか。


今回三回も続けてメルマガをご迷惑を承知で、送らせて頂きました。


人を傷つけてはいけません。迷惑をかけてはいけませんと、人は言うけど、


結局、なぜそれがダメなのか、ちゃんと説明が出来ないからとか、説明をするのが面倒くさいからとか、


もっと言えば、自分をよく見せたいからそう言っているのではないだろうか。


ただ、「自分がやられて嫌なことは、人にはやっちゃダメよ」と説明するだけではなくて、


傷ついたり、迷惑かけられた時に、「なぜあなたは傷ついたの?」「迷惑と思ったの?」っと


聞いてあげたり、考えさせてあげて欲しいのです。


その時、親が子供のことを深く知れる出来事になるし、


自分の未熟さにも気づける出来事にもなるようにも思います。


子供同士で喧嘩をしていても、自分の立場を守るために、喧嘩を止めさせることに必死になるのではなくて、


じっくりと見守ってあげて観察する気持ちの余裕と、信頼する気持ち、そして子供から学ぶ姿勢を


持ち続けなくてはいけないと、改めて子供を通じて教えて貰いました。


最後まで、ソフバラメルマガをお読み下さいまして、心から感謝致します。


ありがとうございました(^.^)


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