遥か、遠く

タダより怖いものはない。

先日患者さんとこんな話をしました。

「先生、呼吸ぐらいタダなんだから、自由にさせてよ」

そして私はこう言いました。

タダより怖いものはないと。

タダだからと言って試供品や試食をして失敗したことありますよね。

呼吸だって同じですよ。

呼吸を疎かにしたら、えらい目に遭いますよ。

行かなかった、行けなかった。

やらなかった、やれなかった。

言葉だってタダだけど、口は災いの元とも言います。

この前のコンサート結局行きましたか?

「行かなかった」「行けなかった」

この前やるって言ってた英会話やったてるのですか?

「やらなかった」「やれなかった」

今までは言い訳がましく、やれなかったや行けなかったと言っていました。

どんな理由であれ、行かなかったこと、やらなかったことは事実。

全ては自己責任。

なのに言い訳がましくやれなかったと言ってしまう。

自分を見下されたくなくて、自分の評価を気にして、つい言ってしまう。

でも行かなかった、やらなかったとはっきり言える自分でありたい。

諦めやすい人と諦めにくい人がいます。

この差には何があるのだろう。

これにも言い訳が絡んでいる気がします。

諦めにくい人は言い訳をしない。

諦めやすい人は言い訳をする。

それは言葉の節々に現れる。

諦めなければいつか思い描く方向に進む。

でも言い訳が上手い人は自分を納得させるのもうまい。

だから諦めやすくなる。

昔、キッコウマンのコマーシャルで、

「幸せ~ってなんだっけ、なんだっけ、ポン酢醤油がある家さ」

ってありました。

幸せの感受性は自分で変えられると思います。

ポン酢醤油があるだけで幸せって思えるぐらいの感受性が高ければ、

多分、なんだって幸せと感じるんだと思います。

酸素だって布団の中で顔ごとうずくまって苦しくて顔を出すと、

なんて酸素ってありがたいんだと感じます。

食事でも一日ぶりに食事をしたら、

なんだって美味しく感じるものです。

でもいつからか、いつの間にからか、その感受性が失われていく。

幸せの尺度が変わっていく。

幸せの尺度が貪欲になることが、本当に大切なのでしょうか?

もっともっと欲が増し、感受性が低下していく。

一見それの方がストレスも溜まりにくく、

貪欲になることで幸せの度合いも増え、目標に近づいていくように感じるけど、

本当にそうなのだろうか。

極端かも知れないけど、同じものを食べ続けても美味しく感じたり、

同じ感動が何時起こっても、感動と思える感受性を保っている方が、

もっと幸せになったり、思い描く理想に近づける気がする。

その場しのぎの言い訳をしたり、

ストレスを気にしないような鈍感さを身につけ、

タダであるものを疎かにして、

本当に幸せになれるのでしょうか。

言い訳をせず、感受性を保ち、タダなものほど大切に、慎重に扱う事の方が、

結果的に、諦めない心や、夢を描く事や、優しくなることや、

何よりも幸せになる近道のように思えています。

今そんな気持ちが芽生え始めています。

最後に一言。

僕は思いやりや優しさという名目で、

言葉を巧みに使うけど、

実は自分を正当化させたくて行っている、

疑似優等生願望に陥っている事も、

多々ある気がしています。

今日はこの辺で。

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