もっと生きたい、生きるのが好きなんだ

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タイトルの言葉を聞くと、人は何を思い浮かべるだろう。

病に侵され、死を目の前に、言葉を振り絞って発した言葉と思うだろうか。

それとも100歳を超えようとしている老人が発した言葉と思うだろうか。

何でもない、病に侵されてもいなければ、老人でもない、

ただの40半ばを過ぎた男の日常の思いを言葉にしただけ。

この言葉を発してどこに可笑しさがあるだろうか。

なぜ死を目の前にしなければこのような言葉を発してはならないのか。

人間は自分を必要とする場所に行くべきなんだ。

あの世が自分を必要とすればそうなるだろうし、

この世が自分を必要とすればそうなるだろうし、

生と死の境界線は、本当はただそれだけのことなのかもしれない。

皆さんは日ごろ「もっと生きたい、僕は生きるのが好きなんだ」と思いながら生きているだろうか。

あの世が僕を必要とするまでは、この世に居座るつもり。

人間は自分を必要とする場所に行くべきだと思うから。

と考えれば、必要としない人はこの世には誰一人としていないはずだけど、

ではなぜ人は死んでしまうのだろう。

死ななければならないのだろう。

この問題はまだ誰にも解かれていない問題。

ただ、これだけは思う。

もっと生きたい、生きるのが好きなんだ、と思いながら生きれることは、

幸せであるに違いないということ。

この言葉には、他にもっと深い意味が込められているようにも感じます。

それは、決して何不自由ない状態で言った言葉ではないということ。

いつも何かに不安を抱え、気がかりなことがあり、

そんな不確で不安定な状態が見え隠れするからこそ、

この言葉が発せられるということ。

何の不安も悩みも不確実なものもない状態では、

決して発することのない言葉だということだけは、はっきりと言える。

人は不満があるから生きられる。

もっとこうなりたいと思うから生きられる。

幸せの絶頂に居座っていると、人は死を選びたくなるのかもしれない。

そうなってこの世を去りたいものだ。

そうなるために僕はもっと生きたいと思った。

生きるのが辛過ぎてこの世を去るのではなく。

そういう死に方が、本当の意味であの世が自分を必要するタイミングなのかもしれません。

これが僕の中での、誰にも解かれていない問題の答えのように感じています。

最後に一言。

アルミ製のバケツの中に蜘蛛が這い上がれないでいた。

そのバケツに一ヶ所だけ滑らないように湿らせたティッシュを貼りつけてみたら、

その蜘蛛は即座にその場所から這い上がって来た。

人間も蜘蛛も同じように生きたいのだ。

生きるのが好きなのだ。

やり残したことがある限りそう思うものなのだ。

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