黄昏時

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一日のうち、日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯を黄昏時といいますが、

皆さんは普段、黄昏時を味わうことが出来ていますでしょうか?

黄昏時はよく考えてみれば、とても贅沢な時間のように感じます。

のんびりと夕日が沈む時間帯にベンチに座り、静かにその経過を楽しむ時間。

想像するだけで贅沢な感じがしますよね。

そういう時間を僕は、セロリを生のままガジガジと食べている時に黄昏時のような気分を味わっています。

僕は毎日、黄昏時を、気分ではあるけれど味わっているのです。

黄昏時とは要するに、のんびりとゆっくりとした、時の流れを味わう時間と例えられると思っています。

何か考え事をしたい時、考えを整理したい時、アイデアを生み出す時、気持ちを落ち着かせたい時など、

色んな場面でセロリが活躍してくれます。

セロリのほろ苦さ、筋張ったような歯ごたえ、瑞々しさなど、

決して極上のステーキを食べているような上品さも美味しさもありませんが、

その何とも言えない絶妙な不味さが、たまらなく幸せなのです。

食べているだけで、安心感といい幸せな気分にさせてくれる存在なのです。

このことを上手く説明するのは非常に難しく、説明出来ないのが残念でなりません。

僕にとって、セロリを食べている時の幸せ感に勝る幸せはないと断言できる。

こう思っている、という気持ちを説明するのって難しいですよね。

この不味いセロリを食べている時を黄昏時と例えられるような気持ちにさせてくれる存在。

そしてこの世にセロリが無くなることのない幸福感。

そして食べ続けてもそれによって病気をすることのない安心感。

セロリさえあれば、僕は健康でいられるという満足感。

皆さんは、不味いものを不味いと思いながら毎日同じものを食べている時の人間の心理を深く考えたことがあるでしょうか。

この心理が理解できれば、おそらくほとんどの人が病みつきになること間違いないのではないかと勝手に思っています。

最後に一言。

人に理解されないことが一つあるというのはとても幸せなことだと感じます。

でもそれを逆に捉えている人は不幸だとも感じます。

それは美味しいものを求めて日々生活している人には理解しがたいことなのかもしれません。

幸せとはそんなに単純には出来てはいません。

美味しいものを食べて幸せと感じれることなど、

脳で理解できる想像の範疇でしかないということなのです。

それは海で例えると、深くも浅くもない、平坦で面白味のない海を眺めているにようなもののように感じます。

いかに脳を驚かせ、困惑させられるかが、幸せの原点だと思っているからです。

美味しいものを食べていると、いずれ感動がなくなり、それが当たり前になって行きますが、

不味い物には先が見えないのです。

いくら進んでも終わりのない楽しい旅を永遠にしているような気分を味わえる。

そのような理解してもらえないものが一つあるって、幸せだなぁって思うのです。

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https://soft-balance.at.webry.info/202104/article_17.html

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