テーマ:健康

指の解放

足の指を解放することの重要性に気がつきました。 最近では運動靴を履くのを躊躇ってしまうほどにまでなってしまいました。 なぜなら運動靴は足の指を固定させてしまうからです。 足先の動きを制限させてしまうのは運動靴に限ったことではありませんが、 足先を自由に動かせなくさせることは、発想力が低下してしまうのに繋がってしまうのではないかと…
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空想

下駄は運動靴より疲れやすいというイメージは、誰しも持っているイメージだろう。 確かに夏祭り、花火大会などでたまに下駄を履いた程度では、 疲れやすいとか痛いとか滑るといった思いを経験するのは確かなのかもしれない。 しかし、下駄を日常的に履いていると、不思議と運動靴より楽に歩けることに気がつく(私自身の感覚です)。 それは当然で、昔…
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感覚の文化への移行

思考や言語をフル活用し、人の目を気にしながら上手に長いものに巻かれて生きて行く時代から、 これからは味覚以外の感覚を大切にし、触覚や聴覚や嗅覚などで感じた情報を頼りに生きる文化への移行が始まって行くのかもしれません。 どういうことかと言えば、人間は人と接点を持てば持つほど、より成長できると思われてきた一方で、 実は全く逆で、どんど…
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根拠はないけど

先日、山形県の出羽三山で有名な羽黒山、月山、湯殿山の旅に行って参りました。 それぞれ過去、現在、未来と、生まれ変わりの山として昔から信仰の対象となっています。 その生まれ変わりという名の通り、その山々がとても険しくそれぞれの場所に辿り着くのに大変苦労しました。 しかし、とても大切な経験をさせて頂いたと感じています。 さて本題です…
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奥ゆかしさ

日本では古くから「奥ゆかしさ」を兼ね備えたことを美徳とされた。 現代の「控えめ」や「あざとい」のどれとも異なり、 また「動作を大げさにし気づかせる」わけでもなく、 深い心遣いが感じられ、品位があり心がひかれる様子。 もっと歩み寄りたいまたは近づきたいと言う欲求を起こさせ、 人を動かすほどまでに惹きつける配慮がある様などを昔から…
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自我を持たない心理

どこまで行っても自我を持たないことへの拘り。 自我を持つということは、自分を苦しめてしまう原因になってしまうだけではなく、 人生を楽しめなくさせてしまう存在になると思っています。 要するに自我を持つことは自惚れと言われても仕方のないことと思っています。 自惚れは、なければない方がいいことは誰もが知っている。 なぜなら冷静さを失…
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拘れない拘らない

人は拘りを持つ人を否定しがちである一方で、拘りたくても拘れない者も多くいるのではないだろうか? どういうことかと言えば、拘りを否定する人ほど、 実は拘りがないことへの劣等感のようなものを抱いているのではないだろうか? 拘りがないことは、言ってみればどちらにも振り子が振れにくいということでもあるからだろう。 どちらにも振り子が振れ…
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履きやすい運動靴

履きやすい運動靴ばかり履いたり、履きやすい靴を求めてしまう行動には、 何も感じない人になってしまいそうで、何も気づけない人になってしまいそうで。 感じれないとは、今どういった状況で、どういった危機が迫っていて、何が問題で、 どうしなくてはいけないかが分からなくなってしまいそうで。 運動靴は履きやすくて疲れにくくて安全で便利だけど…
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贅沢さ

旅行先の名もない古いお寺に行った際に、 人が誰もおらず、お寺のお賽銭箱の側で仰向けに寝転がりながら空を眺めていたら、 贅沢だなぁ~、っと思わず声に出していました。 子供の頃はよくお寺や神社で遊んでいた頃を思い出します。 緑が多く、虫や鳥が鳴き、敷地が広く見通しも風通しもいい、 そして人が訪れない静かな場所、最高の贅沢だなって思…
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下駄の効能

今年に入って一日2時間のウォーキングを心がけ、 足腰の健全さが健康へ及ぼす影響について調べています。 ウォーキングの際のシューズにも拘り、 最近では足袋や下駄にチャレンジをしてみて気がついたことがいくつかあったので、書いてみようと思います。 特に下駄を履きだして顕著に思うことは、 下駄は前のめりで、すなわち体重軸を前にしてしま…
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元気すぎるこの身体

体が元気すぎるというのも問題だ。 何が問題だと言えば、元気なのに自由を愛するからだろう。 色々なことに縛られるのが嫌いで、 執着を削ぐことに生き甲斐を感じて生きて来たからです。 要するに時間とエネルギーをもて遊んでしまっているような罪悪感が半端ない。 鴨長明の方丈記にも書かれているように、 自由に誰にも縛られない生き方の末の…
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百尺竿頭に一歩を進む

百尺竿頭に一歩を進む(ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ)とは、 百尺の竿 (さお) の先に達しているが、なおその上に一歩を進もうとする。 すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力すること、 また、十分に言を尽くして説いたうえに、さらに一歩進めて説くことのたとえですが、 最近、鴨 長明の方丈記を呼んで感じたのですが、 鴨…
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諦めたときだけ指す光

今までの人生を振り返った時にいつもこういった瞬間に遭遇する。 諦めたと言っても実際には諦めていないのですが、 その時その瞬間は確かに諦めたと自覚するのです。 もうこれ以上は進めないとはっきりと自覚するのです。 その時の心境を説明すると夕暮れ時の黄昏時(たそがれどき)に似ている感じがします。 今どちらに向かって歩いているのか、今…
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ロッキングチェアのように

ロッキングチェアに揺られながら夜空を眺めていると、なんだか懐かしい気持ちにさせられる。 赤ん坊の頃の記憶がそうさせるのかはさだかではないけど、 人はゆらゆらとした規則正しい動きにはどこか安心感を覚えやすいのかも知れませんね。 今の僕にとって考え事をしたい時やリラックスしたい時など様々な場面でロッキングチェアが活躍する。 そのゆら…
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適正体重

自分の体にとって適正体重を知ることは大切なこと。 皆さんは自分の適正体重をご存じでしょうか。 適正体重は世間一般的な計算方法で導き出すのではなく、 自分の感覚でベストと思われる体重として考えてください。 例えば、ソプラノ歌手がいますが、ソプラノ歌手は太った方が多いのをご存じかと思いますが、 それは、声を出す際に適正体重を追求し…
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生きる意味、意義は自分の中にはない

もしかしたら精神を病んで(鬱などの症状だけではなく感情の起伏の激しさ怒りやイライラなども含め精神全般の平常ではいられない乱れも含みます)しまう人ほど、 生きる意味や意義を大切にして生きてしまっているのではないだろうか。 商売は人に尽くせば商売が成り立つのに対して、 幸せに生きるためには、自然を敬い続ければ成立する。 全ての仕事は…
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それがあるからこれがある

人には良い部分と悪い部分の両面をバランスよく持ち合わせているもの。 だから良い部分を大切にして、 それがあるからこれがあるといった具合にポジティブにとらえる方が人生は上手くいく。 自分が相手に対してそれがあるから幸せに感じているのであれば、 それを大切にして、それを維持するためにはこれが必要と思う。 良い部分と悪い部分は常に天…
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大義名分

幸せに大義名分は必要なのだろうか? 人は達観すればするほど真実が見えにくくなってしまうものではないだろうか。 今現在の養老孟子さんが何を幸せと感じているのだろうか? あの方も私と同様に幸せに生きている一人なのかもしれない。 それは、幸せには規模や慕われる数や量は関係なく感受性の問題だと感じるからです。 今の養老さんはお金に困っ…
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初夏の陽気

今日は朝から初夏の陽気だそうだと朝のラジオで言ってたなぁ~。 この時期私は花屋に行くのが恒例だ。 なぜなら、冬の寒さで弱って見映えが悪くなった植物が安売りされているからだ。 まるでペット屋の犬を眺める子供のような眼差しで僕は植物を眺めている。 昨日、いい花屋を見つけて今日は週始めから気分がいい。 少し弱って見えるだけ、少し見た…
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徳を積むこと

始めに以下の説明にあたって言っておきたいことは、 私が思う幸せとは「生きていることを毎日感謝ができ、生きることが奇跡だと思えている心の状態」を、 私が感じる究極の幸せ感と思っています。 幸せの価値観はそれぞれにあっていいのだけど、 私自身はそれが究極であり根源であると勝手に思っています。 それを踏まえて以下の内容に触れて頂けれ…
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わかった気にならぬよう

ある芸能ニュースでこんなことが書いてありました。 ある俳優が昔に、大先輩の俳優さんに言われた言葉を今も大切にポケットにしまっているという言葉が紹介されていました。 その言葉とは、先輩に「どうだ?ドラマの反響は?」と聞かれてこう答えたそうです。 「写真撮ってと言われる。指をさされる」と言うと、 その先輩俳優はこう応えられたとのこと…
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無駄な努力

例えば、お部屋に飾った植物の水やりが努力と思うのであれば、その植物は育てない方がいい。 好きだから植物をお部屋に置いているのであれば、お水をやることは努力にはならず、楽しみとなるだろう。 その人のためにとか、何かのためにやろうとするから、それが努力となって、やがて苦痛になって行くのだと思う。 雨を降らせるのは、別に人間のためでも植…
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発見

昔から孝行したい時分には親はなしということわざがありますが、 親の有り難さがわかる年頃には、親はこの世にはいない。 これは親が生きているうちに孝行せよという戒めの言葉ですが、 なぜそのようなことになりやすいかといえば、大切な人を亡くすことで人は、 今立っている場所がワープするかのような変化を起こすのではないかと思います。 立っ…
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食が乱れたら心が乱れる

私は精神的鬱症状の根底にある原因は、食の乱れが原因していると思っています。 乱れというのを詳しく説明すると、体が食生活の改善を求めているシグナルとして、 鬱症状があると思っています。 鬱症状は結果ではなくシグナルとしての役割があるのではないかと考えます。 鬱症状は様々な痛みや苦痛や不安やイライラや無気力など多岐に渡って症状を訴え…
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すぐには分かりにくいもの

何となく今、面白くなってきた。 すぐには分かりにくいものが、本当は大切なのかもしれない。 そんなことに気がつき、直ぐに判断したり見切りをつける行動を止めて、 暫く進んでみることを心がけていると、徐々に分かってくる。 何事においても流れを大切にして、それによる良し悪しの判断を直ぐにはしない。 流れに従うことを優先して生きていると…
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手ぬぐい

手ぬぐいは日本の伝統織物の一つですが、この手ぬぐいは意外と便利なものだと最近気がついた。 80年前の映画を見ていると、度々手ぬぐいが登場する。 私自身の生活にはほとんど縁がなかった手ぬぐいだけど、 最近、その手ぬぐいを使う機会が増えたように感じます。 今までは床を拭くときは決まって雑巾を使用していたのですが、 それを手ぬぐいに…
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愛することが学び

人を愛することは容易なことではないという人がいます。 だから愛を知るために学びに来たという人がいます。 ただ、愛を難しく捉えるのも問題になる。 なぜなら、愛とはある意味、本能でもあるからだろう。 人は出会うべき人とは必ず出会えると思っています。 ただ様々な思い込みや余計な見栄やエゴや感情といった思考によって、 その人との深い…
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物の本質

80年前の白黒映画を見慣れてしまえば、現代の映画がいかに陳腐で安っぽく見えてしまうか。 どんなに素晴らしいと評価された映画ですら、80年前の日本の映画を上回る映画などありはしない。 その時代の映画を知ることは、現代の如何なる素晴らしいとされる最高の映像技術を駆使したとしても、 感動に値しないものになってしまう。 戦前までの日本の…
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「ならんものはならん」パート2

今日は先日の「ならんものはならん」の続きです。 医療が、自力で治せない範囲を補うほどの発展を遂げているかと聞かれれば、 私なら即答で遂げていないと答えられる。 医療処置が免疫力を向上させることに期待できない以上、 あくまでも応急処置としての域を越えて来ない。 それどころか医学が発達すればするほど、自力では治しきれない病気がどん…
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ならんものはならん

昔から家族ぐるみで来院下さっている患者さんと「ならんものはならん」について話をしていました。 昔は家族単位でルールがあって、うちはうち、他は他という勝手な家族ルールがあり、 ならんものはならん、という今では考えられないほどの、個々の家族で更にどぎつい身勝手なルールがあったものです。 それは昔の風習で家を守る、家を継ぐといった考え方…
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